井出 優太

料理におけるインタラクションデザイン

sabraw
sabraw
sabraw

インターネットレシピコミュニティサイト「クックパッド」が誕生したのは1998年のことである。それから15年が経過した現在、iPhoneやAndroidに代表される多機能携帯端末を利用し、台所で調理をしながらレシピ情報を閲覧できる時代に突入している。食に関する情報が重要視されるようになり、そうしたコンテンツやサービスが増える中で、台所で使うための情報機器についても注目を浴びている。本研究は、そうした情報機器、情報システムのデザインについて、人と情報の関係性に注目しながら考察することが目的である。
『sabraw(サブラウ)』は、調理の観察やプロトタイプの制作を通して見出したデザイン要点を統合したタッチインターフェースを持つまな板である。知りたい情報を必要なときに必要な量だけ閲覧でき、情報をモジュールとし稼働性を持たせたことで調理中に扱いやすくなっている。

伊東 友子

もじのうまれるところ

もじのうまれるところ
もじのうまれるところ

文字とは第一に、それは「意味を持つもの」である。
 「私」という文字の意味は書き手自身や、台詞内で使用されている場合は話し手自身を意味する主格であり、欧文では「I」にあたる語である。「私」という文字は、「私」という意味を持つ記号である。
 第二に、それは「図像を持つもの」である。偏に「禾」、旁に「ム」の部首を持つ文字のアウトラインは、その形を持った図像と言うことができる。「私」という文字は、「私」という形を持つ図像である。文字はこれらの性質を併せもつものである。しかし文字はいつもそれらの要素を均一に保っているわけではない。文字は時に意味だけの存在になり、また図像としてのみの存在になる。
私は自身が日記の中で書いた肉筆文字を採取し、一つの試みを行なった。それはアルファベットに読めるひらがなやカタカナ、漢字の和文の採取である。筆者である私が意図した文字の形は、センテンスの中ではたしかに私の意図した通りの文字として生きているが、切り離してみると全く読めないものであったり、違う文字として読めてしまったりする。人は文字を文字単体の連続として読んでいるのではなく、一つの連なり、センテンスとして読んでいる。この文字の採取の試みは、文字の形と文字の意味が本来は強固に取り結ばれたものではないということを示している。
 冊子「もじのうまれるところ」は自筆の文字とエッセイから、言葉の生まれる瞬間を考える作品である。

嶋野 望美

自然と手紙

自然と手紙
自然と手紙

・自然と手紙
 「雪国」や「伊豆の踊子」などで知られる作家、川端康成(1899~1972)が1968年にノーベル文学賞を受賞した際のスピーチ「美しい日本の私」には歴史上の人物の和歌や詩語などが引用されており、川端が思う日本人の心情の本質を見ることができる。白居易の詩語「雪月花の時、最も友を思ふ。」について、川端は次のように述べている。
 雪の美しいのを見るにつけ、月の美しいのを見るにつけ、つまり四季折り折りの美に、自分が触れ目覚める時、美にめぐりあふ幸ひを得た時には、親しい友が切に思はれ、このよろこびを共にしたいと願ふ、つまり、美の感動が人なつかしい思ひやりを強く誘ひ出すのです。(川端康成『美しい日本の私』より引用)
 このように、美しさを目の当たりにすると誰かに言わずにはいられないという、そのような純粋な感動がコミュニケーションの原動力であるべきであると感じた。ここで言う雪月花のような身近な自然をモチーフにし、そこにメッセージを持たせることで、私たちが手紙本文以外の部分に見いだしている情緒や価値についてを、より確かな形で伝えることが出来るのではないかと考えた。

・星とコミュニケーション
 星は、触れることができないほど遠くにあるものだが、その遠さ故にどこにいても同じ星を見ることが出来る。古来より人は星を、人物や動物の物語に投影していた。星座のモチーフになっているのも人(あるいは神)であるし、それを取り巻く物語を星を眺めながら語り継いで来たのだろう。また、人が亡くなった時に「お星様になった」という表現があるように、星は人間の比喩としても捉えられており、それゆえにコミュニケーションの材料にもなりやすいのだと思われる。
 星座を生み出し、伝える過程をメッセージという観点で追っていくと、今までにない新しいメッセージの受け渡し方法が見えてくる。星座を作る側の人間は、無数の光の点という不揃いな配列を読み取った上で、そこに形を発見しているのであろうと推測される。そしてその形に物語をつけ、語り継ぐことで伝承している。それに対し星座を探し観測する側だが、ここでも同様に、配列の中の形を読み取り発見するという行程がある。すなわち、星座を伝えるには送り手と受け手の両方に発見するという行為が必要なのだ。これは、通常の手紙や文章のコミュニケーションには存在しない、能動的なコミュニケーションと言えよう。
 手紙を貰うにあたっての喜びのひとつに、相手に思われている喜びというものがある。手紙を書く行為というのは基本的に相手が目の前にいない時に行われる。受け取った側は自分と一緒にいない時に自分のことを考えてくれていることを喜ぶ。 星の配列を読み取り発見し、また星に人をなぞらえ思いを馳せる、そういった文字にも形にもなっていない、内面のみをやり取りする体験を形にしたいと思った。

李 昊舟

Famipin:遠隔地に暮らす家族を支えるネットワークサービスのデザイン

Famipin
Famipin
Famipin
Famipin

 先進国の日本に留学し様々な事柄に感動を覚えると共に、一人暮らしの多さや孤独死などの社会現象を知りショックを受けました。新聞の記事によれば、経済の発展や社会制度の変化のため、人間関係が弱まり、血縁・地縁社会だったはずの日本は少しずつ「無縁社会」になっていると言われています。一方、私の母国である中国はまだ血縁・地縁社会だと思われるが、経済の急速な発展、海外進出によって新しい価値観を受け取ろうとする若者の急増と共に、この先「無縁社会」になる恐れもあるのではないでしょうか。
 そこで私は血縁と地縁社会における家族の繋がりについて着目し、人間関係を重視した血縁、地縁社会の良さを生かし、遠隔地に暮らす家族同士に向けたコミュニケーションツールのデザインをしようと考えました。留学生及び保護者へのインタビューからは、家族と離れて暮らす人たちは家族との繋がりを大事にしたいという思いが強いが、学業や仕事など様々な原因により自ら家族に連絡する機会は多くないことが分かりました。現在のネットワークサービスには家族を対象としたコンテンツが少なく、遠隔地に暮らす家族の間でのコミュニケーションをきちんと支えられていないというのが現状です。そのため、「遠隔地に暮らす家族を支えるネットワークサービス」を提案し、家族や一族の間でいつでも互いの心配や不安を解消でき、遠く離れても簡単にコミュニケーションができる情報ツールの"famipin"を作成しました。
 "famipin"は、遠隔地に暮らす家族に向け、互いに居場所や活動情報が分かり合えるスマートフォンのアプリケーションによる家族安心サービスです。
 このサービスでは、家庭内部のコミュニケーションをより自然で、時間や距離に妨げられずに行うことを目的としています。そのため、血縁社会で暮らしてきた家族関係を最も大切にする人を初め、彼らの行動により若い世代や異文化を受け取った人までプラスの影響を与え、利用者がだんだん自らの家族に積極的に連絡を取るようになることを望んでいます。

陳 思婷

壁雑誌

壁雑誌
壁雑誌

壁雑誌は、ウェブマガジンのレイアウトを参考し、紙で再現した新たなメディアです。「壁雑誌」によるコミュニケーションの仕組みは、人と情報と空間の関係から考えました。デジタル化を進めると同時に、他の手段も併用した情報伝達を行うという取組も必要です。私は、アナログとデジタルをコラボレーションをさせ、デジタル化時代において、問題を解決することができる方法と考えます。

新野 佑樹

ふり返り空間を記録と共有の場に拡張するデザイン研究

ふり返り空間を記録と共有の場に拡張するデザイン研究
ふり返り空間を記録と共有の場に拡張するデザイン研究
ふり返り空間を記録と共有の場に拡張するデザイン研究
ふり返り空間を記録と共有の場に拡張するデザイン研究

人々は普段の対話の中で、自身の考えを発話や文章として外に出し、それと同時に自身の行ってきた行為について改めて考えるという「ふり返り」を行っている。これらは人々が生活の中で自然に行っている過程である。その「ふり返り」をテーマに、あるコミュニティの対話を促進するソフトウェアツールの基本デザインを提案した。本研究は、その基本デザインをデザイン学校と看護現場の2つのフィールドに応用しデザインを拡張するという試みである。

平林 美穂

本についての幾つかの疑問

本についての幾つかの疑問
本についての幾つかの疑問
本についての幾つかの疑問
本についての幾つかの疑問

"fragment"
読むという行為は、読者が目から取り入れた視覚情報を予め持つ知識や記憶と擦り合せて、理解しようとすることである。また、表面的には読むことができない部分を推測することでもある。数字で作られた「文章」のような図を載せた冊子は、ある期間の私自身の生活の断片(fragment)を表している。読者は、一見数字の羅列でしかないその状態からその内容を読み取っていく。
(TOKYO ARTBOOK FAIR 2012 出品)

"hexahedral pages"
ページという構造は、本・紙面という空間が限られているが故にできる構造である。そのために、ページが切り替わると同時にそこに載せられた内容が途切れる。私たちは、違和感なくその途切れを受け入れながら本を読む。正六面体に刷られた文章読むには、それを手の中で転がすことが必要となる。面で断裂する文章を追ってキューブを転がすときそれはページをめくる所作と似ている。

饒 貝

われわれの間で

われわれの間で
われわれの間で

「われわれの間で」と言うテーマで自画像を作った。この社会に生活しているすべての人は周りの人々と環境と関係している。私達は他人を見ることができるけれど、鏡を見ることでしか自分を直接見ることはできない。私達は毎日鏡と向かい合って、服を着たり、化粧をしたりしているが、その鏡の中に映っている「わたし」は他人として見られる。毎日違う着こなし、違う表情の「わたし」を見ていて、しばしば見慣れなくなってしまったことがある。それは自分が気に入る格好や人をまねしているだけかもしれないと感じ、本当の自分はどういうものかわからなくなってしまった。この体験から、鏡の中に見える「わたし」より他人の目から見られる私のほうがより真実だと思う。
気に入った知らない人に声をかけて、彼らの写真を撮った。その後、私がアウトフォカスになり、背景にフォカスされる状態で相手にカメラを渡し、私の写真を撮ってもらった。この「撮った」「撮られた」という関係の二枚の写真は上下一枚の写真になる。背景に対して私を小さく写し、ピントをぼかしているのは、写真を見た人に写真の中の二人がお互いに見つめ合って撮影し合ったということ感じさせないためだ。私を撮影した相手と、私達がいる場所に注目してほしい。

Caroline Bergmann

弥琴/あなたならどうしますか?

弥琴
あなたならどうしますか?

1. 弥琴. MIKOTO
休暇を終えて108人の子供たちが帰りの飛行機を待っている中、6歳の弥琴は1人、じっと体操をしています。

2.あなたなら、どうしますか。/If it were you, what would you do?
先日,福島の友達からぶどうをプレセントされました。何の疑いもなく、おいしく食べました。しかし友達に勧めたら、'食べたくない'と言われたので急に私も食べることが出来なくなりました。
あなたなら、どうしますか。

池 春栄

探索 / Quest

探索 / Quest
探索 / Quest
探索 / Quest
探索 / Quest

新たな情報環境の生活、人間の感情を注目し、メディアの存在の可能性を探索したいと思います。

堀口 淳史

SateLRite

SateLRite
SateLRite

宇宙空間を満たして私たちの身近にいつも存在する光子。私たち自身も光子によって成り立っているとも言えるが、光子の1つ1つを直接見ることはできない。

この世界を構成しているミクロな粒子を巨大化させて、小さすぎて触れないものとコミュニケーションする感覚。いつも存在する絶対的な世界を再認識すること。

市販の丸電球の中身を独自デバイスに置き換えて、そっと置いておくと呼吸するように明滅を繰り返し、手を近づけると明るく光りながら転がって逃げるデバイス。
電球の中には LED、モータ、静電容量センサ、マイコン、充電池などが詰まっている。

Karin PISARIKOVA

Untitled

Untitled
Untitled

ギリシア神話のなかで、神様のアポロンは好きなニンフ、 ダフネーを追いかけ、ついにアポロンは河のそばまでダフネーを追いつめましたが、ダフ ネーはアポロンの求愛から逃れるために、河の神である父に自らの身を変える事を強く望みました。その望みを聞き届けた父は、ダフネーの体を植物(月桂樹) に変えました。
私はこの神話にヴィジュアルなインスピレーションを得て、自然から文明への逃避を逆方 向にしようと考え、私の身体の物質性から概念の世界へと逃れるようにしました。
特に病気や薬物使用、妊娠など、普通でない状況のときに、自分の心は私の体に支配され、 両者は不可分(一体)となります。 永遠に自分の身体から逃れられないことが、すべての基準となるのです。

佐藤 公俊

対話の可能性 仮想機械との対話(演奏)

対話の可能性 仮想機械との対話(演奏)
対話の可能性 仮想機械との対話(演奏)
対話の可能性 仮想機械との対話(演奏)
対話の可能性 仮想機械との対話(演奏)

 この作品は私が日々感じる「人と人とのコミュニケーションの難解さ」、特に昨今のSNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)をもちいてのコミュニケーションに内包されている対話者の実存性をモチーフにした音響パフォーマンス作品である。
 1950年、数学者チューリングはチューリングテストという、知能があることに関する実験を提唱した。これはコンピューターに知能があるかというAIに関する実験として有名である。このテストの基本モデルとして、1人の質問者と2つのディスプレイが用意される。ディスプレイの「裏側」には、片方に質問者とは別の人間が、もう1つのディスプレイには人間をまねて返答しようと試みるコンピューターが準備される。質問者はディスプレイに向かって何でも良い、質問をする。そして返ってきた答えをみて、そのディスプレイの裏にあるものが「人間」か「コンピューター」か、わからなければそこに知能が存在するというものである。池上高志はこの思考テストをSNSニ(ソーシャル・ネットワーク・サービス)に置き換え、チューリングはこの問題をチューリングテストという形で形式化した、と述べている。このテストはAIの成立問題という主題を持ちながら、「実体の認知出来ない存在とのコミュニケーション」の問題も示唆していると私は考えた。
 また、私の生活の中で体験した現象として、ある時ガラスに貼られたマスキングテープを剥がさなければならなくなった。それは確か展示スペースの暗さを確保するため、外からの光を遮断するための施行だったのだが、いざ終わってテープを剥がし始めるとこれがとても剥がしにくい。粘着面がガラスに密着してしまっており一気に剥がすとこもできず、下手に急いで剥がそうとすると「ベリベリ」というノイズ(少しずつ剥がすという細かい作業のため、部屋の中は静寂で満たされていた。なのでこの程度の音もとても耳障りな「騒音」として認知されるのであった)とともに汚くテープの残りカスが残ってしまっていた。
 この経験は、この「剥がす」という行為によって生じる音の質とダイナミクスレンジの広さに興味を持つきっかけになり、さらに先に述べたチューリングテストの問題とリンクしたとき、テープを剥がすという行為は、対話のメタファーになり得るのではないかと私は考えた。「剥がす」行為に必要な繊細さは、人と人とのコミュニケーションにも必要であるし、その対話によって人は他者との間にあるマスクを剥がし、ガラスの向こうが見えてくるように、相手を「見る」事が出来る。(奇しくもアラン・チューリングも、チューリングマシンというテープを用いる仮想機械を登場させている。)
 そこで私はチューリングテストでもちいるディスプレイをガラス張りの立方体へ、質問者の質問を貼られたテープへと変換し、それがガラスの内部にいて内側から貼られたテープを剥がすパフォーマーAと、その剥がされる音をコンタクトマイクで拾い、音響合成処理を施すパフォーマーBとの演奏、という現在の形へと至った。そしてこれが音響パフォーマンスという、演奏の形態をとったのは、音楽もまた人と人とのコミュニケーションによって成立するためである。(パフォーマー)Bは「対話」によって生まれた「音」という記号を受け取り、解釈し、自らの意思を持ち相手とコミュニケーションを計ろうとするこの過程を、対話=演奏というかたちで表現しようと試みた。

 音というモチーフを扱う以上、そこにコミュニケーションが発生するモデルは数多くある。ガラスに貼られたテープを「剥がす」という音は現存の発音方法の中にもあまり見られず、独特な音色になる。さらにこの作品ではダイナミックマイクをもちいての集音ではなくピエゾマイク、つまりガラスの物理的振動をそのまま電圧へ変換するため微細な剥離音を拾い、コンピュータ上でソフトウェアを介して音響合成されたその音は、普段聞き慣れた音とは異なる音質・音色を体験する事ができる。また、この作品ではスピーカーから発進された音がガラスを振動させ、フィードバックを発生させる。それはパフォーマーAの「テープを剥がす」という行為に何らかの影響を与える事になるし(振動によって剥がしにくくなる等)、また実際の対話の中にも見られるフィードバックにも対応していると見ることが出来る。
 「ガラスからテープを剥がす音」を再構成することで、その音から記号内容・シニフィアンを剥落させ、剥き出しになった記号表現・シニフィエをもちいての対話はより純粋なコミュニケーションとなる。もしくは再構成することで元は同じ記号から、対話者の解釈を付加させ新たな「言葉」での対話を試みようとする。それは日常的な記号とは異なる記号をもちいての「コミュニケーション」となるため、解釈の差異が生じるが、その差異も含めてお互いのパフォーマーは読み取り、また自らの言語で対話を試みるところに張りつめた「緊張感」があらわれる。
 箱の中に閉じ込められた対象は、あたかもケースの中に飾られた精巧な人形のようだ(それは『ロクス・ソルス』の科学者カントレルが水槽の中に踊り子を閉じ込めたように)。また、パフォーマーが箱の中で蠢いている様相はまるで胎児の胎動のようでもあり、母の胎内から胎盤を剥がしてでも外の世界へと出て行きたいという、「現出」への願望の現れとも見て取れる。このガラスの箱は「メディア(メディウム・媒体)」であり、「ヴンダーカンマーの陳列棚」でもあるのだ。
 音楽というモチーフが人間にとってひとつのコミュニケーションツールであるように、作品のなかでは「演奏」というかたちでの対話を試み、それはチューリングテストでは質問者のおこなう質問と、それに対する返答、に対応する。ガラス箱の中の対象がテープを剥がし姿を現出していくという行為は、チューリングマシンにおいては質問により人工知能の有無の判定のアナロジーであり、それはエゾテリストが宇宙の理を解明しようと取り組む姿に重ねることが出来るのではないだろうか。

Lana Bergmann

The Problem 問題

problem
problem
problem
problem

Lana’s video art works are dealing with social issues and tell stories of daily situations in an abstract way. Dealing with topics like depression and stress, Lana creates small worlds were real video and animation meet each other and create a surreal world.
“The Problem” is a compilation of video works about personal problems that are caused by the society. Daily unnoticed issues are shown in a surreal combination between real film and animation, with a critical message.

[Inner Peace]
When we are stressed out and our everyday life doesn’t allow us to rest, we must learn to find our own place of peace. Over time pressure to perform, appointment after appointment and the absence of nature around us have become a huge burden on our psyche. Big cities like Tokyo are full of people. By watching the crowd, it seems like a black sea surface movement. One individual is not noticed, not even when it drowns in the crowd – the black sea.
-Story
This short story shows a young woman who suffers from everyday hectic. On her daily commute she leaves reality for a short time and falls into a pleasant new surroundings.

[Different]
If a person is different from the majority of the society, this person is considered as weird in a negative way. People, whose lifestyle differs from society’s standards, experience how these social standards try to warp them from what they are. They feel stared and observed.
During my research about social standards in Japan, I came across some Japanese words from the Edo period, which describe my topic with just one word. “Murahachibu” - To get rid of a person who is not presentable in the group (mura=village). Nowadays this word is usually used to refer to the person who is ignored or isolated by others. “Nakamahazure” – Is used for someone who is different from others.
-Story
On a busy street where everyone is moving in a similar monotone way, one guy stands still and doesn’t move. He puts his hands on his head (his camera) and out of sudden, he lifts it and his real face is shown. While he takes of his camera, he becomes colorful. He turns into a person who is different from the other people. However, people start to notice and switch on their alarm. In the end, a big photo flash lightens the whole scene and the colorful guy finds himself again on the street with a camera on his shoulders and back in black and white.

小倉 礼子

Planetary Garden

Planetary Garden
Planetary Garden)

植物のなかに風景を見いだした作品です。
植物が隠し持ってきた企みというか、生命がもつ別の世界について想像してもらえたらと思います。

Suzanne Mooney

東京頂上A

東京頂上A
東京頂上A
東京頂上A

“Tokyo Summit A” is part of a larger body of work that I am developing as part of my PhD research at Tama Art University, the focus of which is city-view observatories in Tokyo and the interpretation of rooftop viewing sites as urban summits. The final image is a composite of multiple photographic images, which were collaged to create a seamless 360-degree panoramic light box.
While working on panoramic images from different locations in Tokyo, I was constantly questioning the merit of trying to reproduce the original view. In many ways it would be easy to elicit a positive response from the viewer by reproducing the sense of expansive space through the kind of immersive experience that is usually the objective of the classic panorama. After much consideration, I decided that my real interest lay in the appeal and function of the city view observatory in today’s society. Thus, by subverting the expectation of the viewer, my purpose would be better served. I decided to turn the viewpoint of the panorama outside in. In other words, instead of wrapping the 360-degree image in a circle surrounding the viewer, I reversed the curve of the image, placing it in a circular frame that excluded the viewer. The viewer is on the outside and cannot feel any sense of being immersed in the landscape, as you might expect from a standard panoramic image. I chose to make the circular frame a light box for multiple reasons. Firstly, the atmosphere created by the emanating light added a sense of depth to the image, a feeling that there might be another world contained within the circular frame. Furthermore, because of the back light effect, when one person stands looking at the panorama, they are silhouetted and become part of the installation. For anyone else viewing the work in the same space, they see the work and the first viewer together. The resulting second viewpoint creates an image similar to that of a figure gazing out of a window, a motif commonly used throughout art history to emphasize ‘the gaze’.

五枚橋 孝子

color of flavor

color of flavor

香りの視覚化を試みた作品です。

山本渉

白昼夢

白昼夢

昼に夜を撮影した。
夜の暗さ故に自己と眼前の物質世界とが重なって精神的な風景がみえる経験を日中に再現するために、無反射の黒布を被写体の背景に設置して撮影を行っている。
植物を被写体とする理由は植物の曖昧な価値観の魅力のためである。